美しい日本の私―その序説
美しい日本の私―その序説内容简介
1968年、川端康成は日本人として初のノーベル文学賞を授与され、ストックホルムでの授賞式には紋つき袴の正装で出席、格調高い日本語でスピーチを行い、深い感銘を与えた。本書はその全文である。冒頭、まず道元「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり」、明恵「雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷めたき」、良寛「形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉」の三僧の歌を紹介して、自然との合一ということこそが日本人の精神伝統の根本であることを説き、ついで、芥川の遺書にある「末期の眼」という語や一休の「魔界入り難し」の語をひいて、死や虚無などともこの精神が深く通じていることを述べる。しかし、それは、西欧的な死や無の観念とは違って、死即生、無即有というような豊饒(ほうじょう)自在な世界であり、そこから、日本画、茶、花などのさまざまな伝統文化が生まれてくるのである。以下、伊勢物語から源氏物語へ、古今集から新古今集へと極まっていった古典文学の伝統をたたえ、そのすべてに東洋的無および自然意識が流れていることをあらためて強調して、この印象深い講演は閉じられる。世界に向かって、日本の精神伝統の独自性と豊かさを示した卓抜な日本文化論であると同時に、タイトルからもうかがわれるように、現代日本の文学者である自身にもこの伝統が脈々と受け継がれていることを高らかに宣言する記念碑的作品である。(大久保喬樹)出版社/著者からの内容紹介雪、月、花に象徴される日本美の伝統は、「白」に最も多くの色を見、「無」にすべてを蔵するゆたかさを思う。美の真姿を流麗な文章にとらえた本書は、ノーベル賞受賞記念講演の全文に、サイデンステッカー氏による英訳を付した、日本人の心の書である。「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬清寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。1輪の花は100輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開ききった花を活けてはならぬと、利休も教へてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ1輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。――本書より
美しい日本の私―その序説书评
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